今月のおはなし

「慈光」通信を読む(2019年4月号より)

一切の有情は、みなもって

世々生々の父母兄弟なり 

 ―『歎異抄』

 

 私達人間は、つねに自分と他人とを分けへだてて、

自我中心に生きている。そこから我他彼此(ガタピシ)というきしみ、争い、対立が生まれる。いちどその自我中心の暗室を破ってみる必要はないか。蛹(さなぎ)が、窮屈な住み家を破って広大な別天地にふれたとき、もし心あらば、どんなにか驚き、生き生きとしたことであろう。

 

 わが父母は、この世での無二の父母にちがいない。だが、もっと奥の世界ではこの世の父母ばかりが父母ではない。私なる存在は、久遠の過去からの無量無数の“いのち”が流れつづまって私となったのであり、一切の無量無数の“いのち”がいわば私の祖先である。

 

 あらゆる生きものは、思えば私達が、遠い過去から、世々生々して生きてきた、そのいずれの時の、父母であり兄弟でありとするこの内観のことば―この広大無辺にして一味にとけあう世界(浄土)のことばを、今一度、私達はしずかに味わってみようではないか。

(「同朋選書」より)

 

 

 


【過去1年分の通信録】

「慈光」通信を読む(2019年3月号より)

仏はこれ恩を知りて、

よく恩に報ゆる者なり 

 ―『般若経』

 

 ある日、喫茶店で五十ぐらいの紳士が、ひどくこぼしていた。

 

 「うちの息子が高校生になって、生意気で困った。“親なんて頼みもしないのに、俺を生んで、二言目には恩にきせて怒る。まったく勝手なものだ”というのです」と。

 

 この現代っ子の放言は、浅はかな物質主義、自我主義からの発想であるが、恩にきせる親の方も、じつは高校生と同じ発想から出ているのである。ともに宗教的内観がない。

 

 “私”の存在には親があり、その親にはまた親があり……かくして果てしなく遠く広く生命の歴史(縁起)はつづいており、大地の大いなる深い願いがかけられて、今日の私ははぐくまれてきたのである。無量寿・無量光のなかの私であった。

 

 この命の根源をおもい、この事実の前に謙虚にひざまずく時、御恩のなか、“おかげさま”のなかに生かされてきた自己を思いださないであろうか。

 親自身が恩を知る時、子もまた恩に報いることを知るであろう。

(「同朋選書」より)

 

 

 

「慈光」通信を読む(2019年2月号より)

自然のことわりにあいかなわば、

仏恩をもしり、また師の恩をも

しるべきなり

 ―親鸞『歎異抄』

 

 知人の息子S君は、小学校4年生ごろまで、手がつけられない腕白ものだった。ある日、いたずらをして担任の先生に、ひどく叱られた。だがS君は、どんなに言われても、悪かったと頭をさげようとはしなかった。

 

 先生は「あやまれというこの先生と、どうしてもあやまらんお前と、どっちが、まちがっているか、さあ、いっしょに考えよう」と、二人はならんで教室の板縁に正座することになった。S君は脚が痛くて気が遠くなりそうだった。何十分がたった。T先生の方が「ああ、痛くてたまらん。あす、また考えよう」と悲鳴をあげた。S君は胸がジーンとした。

 

 あくる朝、はやく登校してT先生に、心から詫びた。T先生が大好きになった。いまS君は、名古屋で中学の教師をしているが、彼を熱心な教育者志願に導いたのは、このT先生との出会いであったという。

 

 ことしの夏も、東京在住の恩師T先生に会いにいったS君であった。―自然(じねん)とは、真実のことである。

(「同朋選書」より)

 

 

 

光寿無量

 新年明けましておめでとうございます。今年もみ仏のお慈悲のもと、新しい年を迎えさせて頂けましたことを、皆様共々にお慶び申し上げます。

 

 昨年は、北海道は根室沖での地震発生をはじめ、大阪は6月発生の北部地震に続き、度重なる台風によって西日本各地で甚大な被害がもたらされるという自然災害の多い1年となりました。これらの災害により、即応寺御門徒の中にも被災されたご家庭は少なくなく、いまだ復旧の目途も立たず新年を迎えられました皆様には心よりお見舞いを申し上げますと共に、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

 

 また、住職継職から早1年が経ち、昨年は世話役皆様をはじめ、御門徒方々に多大なご協力を賜りました。未熟で至らない新住職をいつも温かくご支援下さり、「試験お餅つき会(2月)」や「花まつり お餅つき会inチョークアート展(4月)」、「阿倍野高校生との模擬仏前結婚式(8月)」など、初の試みの各催しを賑やかに盛り立てて頂き、御陰様で地域の皆様との交流を広く深めさせて頂くご縁となりました。厚く御礼申し上げます。

 また、11月に行いました当院初の「子ども報恩講(お餅つき会)」では地域のお子様を含む沢山の子どもさんたちにご来院頂き、阿弥陀如来のご尊前におきまして、お子様方に手を合わせることの大切さをお伝えできましたことは、住職就任以来の念願でもありました。この喜びを忘れることなく、今後も一人でも多くのお子様方に“生まれた意義”と“生きる感動”を伝えてゆくことができるよう、開かれたお寺づくりを目指して参ります。何卒、御門徒皆様には変わらぬご支援とご協力を賜りますよう、よろしくお願いを申し上げます。

 

 本年も「聞法第一」として、親鸞聖人が明らかにされたお念仏の教えに我が身を照らし、今ここにあるいのちの“尊さ”と、一日一日の“かけがえのなさ”に目を覚ましてゆく「いのちの学び」を、率先して歩んで参る所存です。皆様におかれましても、阿弥陀如来の大悲と共に歩まれる幸せな一年となりますことを願いまして、新年のご挨拶とさせて頂きます。合掌

(獅子吼山 即応寺住職)

 

 

 

「慈光」通信を読む(2019年1月号より)

過失つて非と悪とを犯すも、

能く追悔すれば善となす。

是れ明にして世間を照らすこと、

日の雲なきが如し。

 ―法句経―

 

 罪悪だと気づかれるような罪は、悔い改めることもできよう。だが、われわれは気づかいないまま、しばしば罪を犯してはいないか。

 

 トルストイは《ある老人が、罪に泣いている女に“お前はできるだけ大きい石を一つ持ってこい”といい、また罪を犯した覚えがないと主張する他の女に“お前は小さい石をできるだけ、たくさん袋に集めて持ってこい”と命じた。その通り持ってきたふたりに、今度はそれを元へ戻すように命じた。大きい石の方はすぐ元の場所へ返すことができたが、小石の方は数も多く、どこから運んできたか覚えていないので、もどすことができなかった。

 

 そこで老人は、人間の罪も同じことで、お前は、小さい罪ばかりではあろうが、知らずに犯して懺悔(さんげ)もせずに罪の日を送ることに慣れてしまったのだ、とさとした》という話を書いている。

 

 罪の根はつねに自我執着に終始する自己存在それ自身のうちに深く内包されている。気づかれざる罪を背おうところに宗教的懺悔(さんげ)がある。

(「同朋選書」より)

 

 

 

「慈光」通信を読む(2018年12月号より)

経教は

これを喩うるに鏡のごとし。

しばしば読み、

しばしば尋ぬれば、

智慧を開発す。

もし智慧の眼開きぬれば、

すなわち能く苦を厭いて、

涅槃等を欣楽す。

  ―善導「観経疏」―

 

 顔を見るとき、鏡を使う。こんなに近くにある自分の顔なのに、鏡なしでは見れない。手でなぞってもよく分からない。鏡を使えば、一目瞭然。鏡に写った無愛想な顔に、我ながらあきれることもある。もう少し可愛げのある顔だったはずなのに…。鏡は、自分の思いを越えて、自分の事実を見せてくれる。

 

 仏教のなかでは、教えということがたびたび鏡に譬えられている。それは、仏教の経典を読んだり、教えを学んだりするということは、単に仏教の知識の豊富な人になるということではない、ということを伝えようとしているのである。教えを学ぶということは、他のあれやこれやについての教養を広めることでもないし、また、人間一般についての知識を得ることでもない。まさしく、自分自身を明らかにされるということである。それはいわば、勝手な自己解釈を越えて自分に出会うということでもある。

 

 私たちは自分の思い通りに事が運んでいるときは、意気揚々とし、自分や他人をいとおしく思う。けれども、思い通りにゆかなくなると、その途端、意気消沈し、自分や他人を持て余してしまう。そんななかで、自分の思いに適うものを増やし、思いに適わないものを減らしてゆけば幸せになれると思っている。しかし、どれだけ増やし、どこまで減らせば満たさせるというのだろう。そのように苦を避け楽を求めていくということが、堂々巡りしているということがありはしないだろうか。

 

 教えを学ぶということを通して、自分が明らかになってゆくとき、

 

  もし智慧の眼開けぬれば、すなわち能く苦を厭いて、涅槃等を欣楽す。

 

という、厭うということや欣うということが、本当の意味において始まるのだと語られている。いわばそれは、どこから歩み出せばいいのかという出発点と、どこに向かっていけばいいのかという帰着点がはっきりしたということである。そのことが分かったとき、堂々巡りを一歩越えてゆけるのではないだろうか。

 

 思いによって生きる人間にとって、自分とは、最も近くにあるのに、最も遠い存在なのかもしれない。そんな自分に出会うということを通してこそ、自分勝手な思いを越えて、他の人と出会うということもあるのではないか。そのような出会いのなかに始まってゆく歩みというものもあるに違いない。

(大谷大学伝道掲示板より)

 

 

 

「慈光」通信を読む(2018年11月号より)

自我を捨てずして

苦を免れること能わず

火を捨てずして

やけどを免れること

能わざるが如し

 (寂天「入菩提行論」)

 

 「苦しみという火傷」をすると、それを忘れようとして、酒をあびるほど飲んだり、歓楽に身をまかせてしまう人がいる。それは気ばらしという水でやけどの痛みをおさえるようなものである。いったんは火傷の痛みは忘れる。でも、火種が残ったままだから、強い風が吹きつけると、火種は赤々と燃えはじめ、また火傷の苦しみが始まる。

 

 「苦しみという火傷」から逃げないで、それを見つめようとする人もいる。苦しみが生まれた状況を分析したり、原因を調べたりする。多くの場合、他人のせいや運のせいにできる。たとえ自分に原因があるという場合でも、自分の能力不足や性格のせいにしてしてしまう。しかし、どれだけ火傷をした理由を調べてみても火傷の痛みはなくならない。

 

 「苦しみという火傷」に耐えられる心の強さ、苦しみを苦しみと感じないほど心を強くしようとする人もいる。自分を鍛えるのである。それは火傷をしても痛くないように皮膚を強くするようなものである。

 

 棒を投げつけられたとき、犬はその棒を攻撃する。

 ライオンは、投げた者を攻撃する。

 

 「苦しみという火傷」から逃れるためには、私たちは犬のように火傷に目を奪われるのでなく、ライオンとなってその火種に目を向けなければならない。実は苦しみの火種とは私たち自身にある。それが「自我」と言われている。「自我」が苦しみを作り出している。火傷を免れるためには火種を捨てなくてはならないように、「苦しみという火傷」から免れるためには「自我」を捨てなくてはならない。

 

 ただ問題なのは、ここにいう「自我」とは、私たちが意識できるものばかりでなく、無意識の底に働いている深いものも入っていることである。盤珪禅師が「我が身のひいき」と呼ぶものである。この火種の本体を知ることが大事である。そこに「苦しみという火傷」が根本的に治されていく道が開かれてくる。

(大谷大学伝道掲示板より)

 

 

 

「慈光」通信を読む(2018年10月号より)

如自当知(にょじとうち)

~ 汝、自らまさに知るべし ~

(『大無量寿経』)

 

 はじめて「聞法会」に出席した彫刻家志望のY青年は感銘した面持ちで―

 

 《あの座談会で年輩の人が、現代の世相を嘆いたあげく、「今の 若い者は特別なっとらん」とはげしい口調ではじめました。電車に乗ろうとすると、人を押しのけ入り口へ殺到する。われわれ老人が前にいても席をゆずろうともしない。タバコの吸いがらを平気で道に捨てる。人通りの多い町を白昼でも、しりをかかえあうようにしてのし歩く。どうも今の人間は、自分だけあって、他人がいることを忘れているようだ。人間という字は“人と人との間”と書いて、自分一人では成り立 たぬということだが、彼らはそういうことを知らんと見える」―と、能弁にまくしたてるのです。

 

 ところが、フト気がつくと、その人、はじめぼくとの真ん中にあった灰皿を、自分のほうにすっかりと りこんで使ってるんですよ。おやっと、思いました。人間にとって自分を知ること、自分を見る目を持つことが、どん なにむずかしいことか、よく教えられました。お陰で聞法の的(まと)が少しわかりました》と。(「同朋選書」より)

 

※「聞法(もんぽう)」とは、自分で分かったつもりにしている「自分の考え」や「生き方」を、教えによって問い直す歩みのことです 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2018年9月号より)

死のおそれと悲しみをこえて…

 

 戦争だけでなく、事故や病気で死ぬ人が大ぜいいます。またそんなことにあわなくても、人間は年をとるとからだがおとろえ、そして死んでゆきます。

 

 人間はむかしから死をきらい、おそれ、さけようとしてきました。人が死ぬとまわりの人はなげき、ふかい悲しみにつつまれます。

 

 生まれてきたからには、かならず死ぬのが生き物なのに、「千年も万年も」生きられないのを残念におもってきました。

 

 しかし人間は生まれてくるまえ、胎児になるもとは卵子で、それはお母さんの一つの細胞でした。

 

 そのお母さんも、そのまえのおばあさんの卵子から、「生命の設計書」をうけついで生まれてきました。

 

 だからひとりの人間は、年がたてば死にますが、子にわたった「生命の設計書」は、「千年も万年も」生きつづけるのです。

 

 いまあなたが生きているのは、こうして「生命の設計書」が、およそ40億年ひきつがれてきたからですし、人間のあつまりがささえとなってきたからです。

 

 そしてその「生命の設計書」は、これからも人間とそのあつまりによってうけつがれていくことをおもえば、むやみに死をおそれることもないし、死の悲しみものりこえられることでしょう。

(絵本「人間」より 作:児童文学者・かこさとし)

 

 

 

「慈光」通信を読む(2018年8月号より)

【門徒ことばシリーズ⑥】

~真宗門徒が語り継いできた言葉~

 

『仏壇参ったか』

 

 「仏壇参ったか」。朝夕の食事を前にして、何回この言葉を親の口から聞いたことか。しかし、今ではどこの親も言わない。お盆や正月に子や孫が帰省しても、仏間は素通りして居間に直行する。ビールに高校野球のテレビ観戦と、瞬く間に短い休日は過ぎていく。

 

 「おお、よう帰ってきた。喉、渇いたやろう。今から西瓜切るで、まず仏壇参ってこい」と、玄関先で帰ってきた子や孫に申し渡すのが真宗門徒の嗜みではなかったのか。休暇の終わりもそうだった。「今から帰るか。どのくらいかかる、四時間か。道混んどるで、運転気をつけてな。ま、最後に仏壇まいっていけ」。昭和の中ほどまで、これが当たり前の帰省風景だった。

 仏壇に参れと教えられ、また参るものだとしつけられて育った子供は、親が亡くなってからも無住の家に帰省する。空き家の仏壇を夫婦で掃除し、「お経をあげてほしい」と、夕暮れにわたしを呼ぶ。今年のお盆も、そういう家が三軒ほどあった。

 

  ◆浄土真宗では、仏壇をお内仏と言う。私もそう言って教化しているが、

   子供のころに聞いた言葉としては、「仏壇」の方が耳に残っている。

   「お内仏参ったか」と言うよりも、「仏壇参ったか」という方がわかり

   やすいせいか、子供に対しては特にそう言われることがよくある。

 

(高山教区・三島清円)

 

 

 

「慈光」通信を読む(2018年7月号より)

【門徒ことばシリーズ⑤】

~真宗門徒が語り継いできた言葉~


『生かされている』

 

 真宗門徒は、「生かされている」とだけ言う。何によって生かされているとは言わない。それは、「仏のお慈悲」によって生かされているということが、その言葉を聞く者に語らずとも伝わったからだろう。
  「生かされている」というこの言葉

は、最近マスコミにもしばしば登場するが、仏法の教えのないところでこの言葉だけが一人歩きすれば、さまざまな個人的解釈が成り立ってしまう。中には、会社の給料で生かされている、と解釈する人もいる。


 ところで、こんな言葉を聞いたことがある。明治から昭和にかけて活躍した真宗大谷派の僧侶、金子大栄の末期の病床を、ある弟子が見舞った。すると大栄は、見舞いの客の言葉には応えず、自分の両足をさすりながら、「今日までほんとうにご苦労様でした」と語っていたという。これを見舞い客に対するねぎらいの言葉とするか、自分の脚にまでなって自分を生かしめてきた如来大悲の感謝の独白と聞くか。大栄の朋友、曽我量深の「如来我となりて、我を救いたもう」の言葉が憶われる。


 また、二十年ほど前に、こんな詩を見かけたことがある。


  道を歩いていて

  ふと気がつくと
  両足が大地をふみしめて歩いている
  右足……左足……

  右足……左足……
  不思議だなぁ……

  ごめん……ごめん……

   (作者不詳、小学二年生)


 ここにも、脚にまでなってはたらいている「不思議」がある。足もとに発見した不思議。それを当たり前にしていた自分。それに、「ごめん……ごめん……」と。


 わたしはその「ごめん……ごめん……」から、「生かされている」人生が始まるのだと思い、さっそくその詩をメモに残した。

(高山教区・三島清円)

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2018年6月号より)

【門徒ことばシリーズ④】

~真宗門徒が語り継いできた言葉~


 『もったいない』

 

 「もったいない」という言葉は、ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんが提唱して二〇〇〇年代の日本でもブレイクした。まさに「死語の回復」と言うべきで、彼女が喧伝しなければ、その言葉ほど使い捨ての時代の現代の日本にほど遠い概念はなかったことだろう。


 「もったいない」は「saving」と英訳されている。それは、「ものを節約すること」を意味する経済用語で、日本のマスメディアはおそらく「もったいない」と「ケチ」との見分けもつかない中で、その逆輸入された言葉をありがたがっていたような気がする。


 しかし、「もったいない」の背景には、「あたわったいのちを粗末にするなかれ」という意味がある。それはやがて、「わたしのような者に」という謝念に繋がっていた。それゆえ、雨や雪などの難儀を忍んで門徒の家を訪れると、「ああ、もったいない」と言いながら主人が玄関先へ飛び出してくる。そう言われた住職はなおさら、「もったいない」と言う。互いの存在がすでにして「もったいない」のである。


 このような「もったいない」は、けっして「Saving」(節約)とは訳せない。


 加賀門徒の長田吉昭氏から聞いた話を思い出した。朝に顔を洗っていると、洗面器の底でチャリンと音がする。取り上げてみると、残っていた歯がどうやら抜けたらしい。そのまま捨てようとしたが、何気なく鏡台の前にそれを置いて、洗顔の後にぼんやり眺めているうちに、ふと気づいた。「親から授かって、生涯はたらき続けた歯が一つ、如来のいのちに輝いている。ああ、もったいない、もったいない…」と。この「もったいない」を訳す言葉は西洋文明にはない。

(高山教区・三島清円)

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2018年5月号より)

【門徒ことばシリーズ③】

~真宗門徒が語り継いできた言葉~


『仏壇の前でもう一度同じことが言えるか』

 

  「仏壇の前でもう一度同じことが言えるか」という言葉がある。息子が了見違いを起こして親に言うまじきことを口走った場合などに、この言葉が登場する。

 


 この言葉についてこの間、門徒のお嫁さんからこんな話を聞いた。

 

 専業農家のその家は、事あるごとに仕事のやり方について親子が衝突する。息子はこれからの農業を、親は今までの農業を主張するのだ。ある日、ついに両親と息子夫婦の間に、深夜に及ぶ大激論が勃発した。戦いに疲れて涙も声も涸(か)れ果てた長い沈黙の後に、「明日も早いで」と四人がふらっと立ち上がると、今まで黙って論争を聞いていた母親が「寝る前に、みんなお内仏(仏壇)参ってこ」と一言。


 「それで、みんな仏間へ行ってお参りして。朝起きるとみんな、元気にオハヨウと、昨夜なんにもなかったみたいに、てんでてんでに仕事場へ行ったんです。あれ、不思議でした。お内仏に参るとは、ああいうことやったんやね」と、お嫁さんはわたしに語ってくれた。


 それぞれの四人がそれぞれに、「真向かい」になった深夜の仏前ではなかったのかと、私は話をいただいた。

(高山教区西念寺住職・三島清円)