大阪あべの即応寺

今月のおはなし

「慈光」通信を読む(2025年8月号より)

 

 

函蓋相稱(かんがいそうしょう)

―「相応」は、たとえば函(はこ)と蓋(ふた)と

 相(あ)い稱(かな)えるがごとしとなり(曇鸞大師)―

                            

 「伝言ゲーム」という遊びをご存知でしょうか?数人のグループになって、順番にあるメッセージを伝えていき、その正確性を競うゲームです。大人であっても、最後の人のところでは、はじめの物と全く違ったものになったりします。

 

これは人間の聞き間違いを利用した遊びですが、仏教ではこのことを「同聴異聞」(どうちょういもん)と言って、自分の都合で聞く人間の姿を言い当てています。同じ事を聞きながら、それぞれの都合(自我)で聞くために、全く異なった受け取りをしている、と。言葉を放つ側の思いや願いと、受け取る側の思いがぴたりと合った様を、箱の上下に譬えて、「凾蓋相稱」と曇鸞大師は表現しました。

 

日頃を振り返ってみれば、相手が放った言葉を私たちは本当に受け止められているでしょうか。メールやラインでの会話が主流になりつつあるこのご時勢、言葉だけではなく、表情、声のトーン、醸し出す雰囲気、色々なものを感じて、相手の大切な言葉を受け止めたいものです。

 

ひょっとして、役に立つ、立たないだけで、相手の言葉、聞いていませんか?

(東本願寺宗務所企画調整局・橋本 真)