本当の言葉
さまざまな声がこの世の中に流れています。いろいろな言葉が私たちのまわりに語られています。しかし、どの声もどの言葉も私たちを落ちつかせ、本当に満足するものではありません。それどころか、いよいよ私たちの心をかりたて、あらぬ方へ追いたてているようです。
損だとか得だとか、良かったとか悪かったとかいいながら日も足らずに走りまわって、本当にくたびれはてているのではないでしょうか。
身の疲れは風呂に入って休めば気持ちよくなおります。しかし、今の人の疲れは、風呂に入っても休まらぬ疲れ、言うなれば心の疲れでありましょう。仕事をしても落ちつかず、休んでも安まらぬ心。それはすべて、世の中のどこにでもいっぱい聞こえている声や言葉が、つもりつもって私たちを内部からかき立てているからであります。しかし、いったい人間にはそんな言葉しかないのでしょうか。
あるのです。本当の言葉が。私たちのいちばん深いところ、私たちが心とよんでいるもののもっと奥に、この言葉は、言葉にならずに叫んでいるのです。
それは、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(歎異抄)と喚びかけるいのちの根源語、『南無阿弥陀仏』。その言葉に耳をすませましょう。私たちは言葉からは離れられないのだから。
(「同朋選書」より)