無用の用
※世間で役に立たないとされているものが、
用い方によって、きわめて大切な役割を
果たすことがあるという譬え
実用という点からいえば、すべての花は無用なのかも知れない。しかし、机の上に一輪の花を投げ入れた花びんはどこにでも見受けられる。やはり人間は無用を知っているらしい。このように人間の賞する花のいのちの悲しさは、花びんの花も大地の花も、人のいのちに似ていよう。
われらが芸術を賞する心は、この無用の用を賞する心につながる。宗教もまた世にもっとも無用の用とみなされている。そこにわれらは実用の用はかぎりある用であり、無用の用はかぎりなき用をなすものであることを知り得る。人生の深さはそこにあるからである。
沖の小島にひばりがあがる
ひばりすむなら畑がある
はたけあるなら恋がある
この詩には何の実用もない。だが、くりかえし朗唱するとき、人生の喜びも悲しみも、温かさも淋しさも、われらの胸にみちて無用のゆたかさと、かぎりなさを覚える。
すずしさや 弥陀成仏のこのかた
人生の荒浪にもまれた一茶にも、そよ吹く風を縁として、こうも限りなく真宗念仏の悦びを詠みすて得る信仰の世界があった。
私は、しずかに無用の用の尊さを思う。
(「同朋選書」より)