嫌いなものが多いほど知識は狭い
健康な体になるには、好き嫌いなく食べることが大切だが、現代人の食生活は偏りがちである。好きなものだけでは本当の健康は保てない。
同じことが学問や知識にも言える。専門に偏りすぎると、総合性を欠き、人間としての豊かさを失う。知識が細分化される現代において、他の分野に耳を傾ける姿勢が必要である。
知識とは本来、現実を新しく受けとめるためのものであり、固定観念にとらわれるためのものではない。知識に光がなければ、現実を見る力を失ってしまう。
「仏智(ぶっち)」とは、子供の心のように、日々新しく現実を迎え受けとる心であり、知識が深まるほど柔らかく豊かに生きる働きとなる。知識に執着せず、むしろ、それを超えていくところに、本当の智慧というものがある。
見ることも、聞くことも、教えられることも楽しくてたまらないといった子供たちの目は澄んでいる。知識を“私”する心がないからである。
しかし、その子も、歳を重ねるにつれて好き嫌いが激しくなり、目も濁り、世界も狭くなる。自分のことばかりに固執し、他人の言葉に耳を傾けなくなる。これが、好き嫌いという形でしか知識を求めなかった人間の末の姿である。
(東本願寺「同朋選書」より)