咲くも散るも 花のいのち
白隠禅師は、弟子が摺鉢を壊したとき、「時節因縁」と言われた。生じたものは因縁によって生じ、因縁によって滅する。つまり、壊れる時が来たということである。
しかし私たちは、その道理をなかなか受け入れられない。かつて愛用の茶碗が割れた時、元に戻そうとする姿を見て、人間の執着の深さを思い知らされた。壊れたものは戻らないが、その出来事もまた仏法を聞く縁となる。
親鸞聖人は「多くの人の死にあっても驚くことではない」と記された。それは冷淡なのではなく、この世の道理を示されたのである。
生まれたものは必ず死ぬ。壊れるものは必ず壊れる。その事実に気づくと、今ここにあるものの尊さが見えてくる。無常を知ることは悲観ではなく、かえって深い愛情と感謝の世界を開いてくれる。限りがあるからこそ、今日という一日も、共に過ごす人との時間も、かけがえのないものとして受け取られてくる。
だからこそ、
一粒の露のように 光を受けて精一杯輝き、
その時が来たら静かに消えてゆきたい。
そんな生き方が願われるのである。
(東本願寺「同朋選書」より)