浄土真宗における法事の心
私たちが人間として、この世に生まれてくるについて、欠かすことのできない大切な条件は、両親があったということです。両親がなくて誕生した人は、一人もありません。
また、親しく交際した親族、友人に育てられて、今の私があるわけです。今は亡き先祖、友人を偲びつつ年月を定めて法事をつとめます。この法事は亡き人の本当の願いを改めて聞き、私たちを養育してくださった方への報恩感謝の意を表すところに大切な意味があります。
では亡くなられた方が、私たちに何を願っておられるのでしょうか。特に親の気持ち、つまり、子供に対する親の願いを考えてみますと、一言で言えば、
「人間に生まれて本当によかった」
と言える人に成ってほしいということにつきるのではないでしょうか。逆に言えば、
「こんな自分なら生まれてこなければよかった…」
と、子供に嘆かれるほど、親として悲しい、やりきれないことはないはずです。
とすれば、法事は、このような親をはじめとする先祖の願いにまで成った仏の意に改めて耳を傾け、その願いにそうべく生き、さらには願いの中に生かされている身を深く感謝する。このような自分に成ることが、とりもなおさず私の本当の願いでもありましょう。この感謝の気持ちを素直に形として表すのが、真宗門徒の法事であります。
(真宗大谷派大阪教区教化センター)