今月のおはなし

「慈光」通信を読む(2022年4月号より)

 

 

無明煩悩しげくして

塵数のごとく遍満す

愛憎違順することは

高峰岳山にことならず   

― 親鸞「正像末和讃」―

 

選挙の当事者にとって、まさに血みどろの食うか食われるかの戦いであった。わが方に好意をもつ者には、手ばなしの感謝と親愛を、わが方に敵意をもつ者には、むき出しの憎悪と怨念をいだいたであろう。だが、これは何も選挙だけの話ではない。たまたま、選挙という特殊な状況が縁となって、人間のエゴイズム性が、激しく拡大化してあらわれたにすぎないのである。人間の性(さが)は、無始よりこのかた永劫の闇(無明)のなかに閉ざされて形成されてきたものだ。

 

われに良き者には、本能的に愛着し、われに悪しき者には、本能的に憎悪する―かく「愛憎違順(あいぞういじゅん)すること」大山のごとく甚だしいのが、この“わが身”であると、悲嘆したのが宗祖親鸞聖人であった。

 

日常生活の暮らしのなかに、しょっちゅう愛憎の思いにゆすぶられ責められる、わが身のすがたを「とても地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄)とまで内省された聖人の、自己凝視の鋭さ、深さを思うのである。

(「同朋選書」より)