大阪あべの即応寺

今月のおはなし

「慈光」通信を読む(2022年9月号より)

 

 

無限大悲に乗托したるものは、

真の自由を得るなり。

清沢満之『精神主義と他力』趣意

 

 

 御門徒のYさんは、娘さんの婚家に同居している。七年前に妻を亡くし、大阪でアパートの一人暮らし、話し相手もなかった。ある日、心臓発作をおこし、医師から「一人暮らしは精神的によくない」と言われ、娘の家に同居したわけ。

 

 ある雨の日、車で送ってもらった時、娘なる奥さんがいった。「父は頑固でしてねえ、大阪で一人暮らしのころは、苦になって、それなりの親孝行しましたが、今は時折ケンカしますよ。孫たちも、おじいちゃんと離れてる時は何かしてあげたいとよく思ったけど、同居してからはウルサイことが多いって……人間って、おかしなものですね」と。

 

 私は言った。「それで結構。笑いやケンカがなかったら一人暮らしと同じで、また病気になりますよ。ケンカも大いに必要、生きてゆく活力のために。この上で大事なことは、このままが一ばん恵まれているという満足感―その究極のよりどころとしての“法”を見つけることですね」。

(「同朋選書」より)

 

 

 

 

 

しち(実)というは、

かならずもののみ(実)となるをいうなり。

親鸞「浄土和讃」二種目左訓

 

 

ある教育集会で、中学教師A師の事例が報告された。

 

〈三人の生徒が授業中に学校の塀を乗り越えてアイスクリームを買いに行った。戻る途中、そのうちの一人が車に引っかけれられて倒れた。他の二人はその友人を放ったまま学校に戻り、アイスクリームを食べ、皆の中にまぎれこんで知らん顔。倒れた生徒は、やがて救急車が病院に運んだが、高校受験のため、テスト、テストの教育が、彼らの人間としての心を失わせてしまったのだろうか。友人とは単にアイスクリームを一緒に買いにいくだけの隣人にすぎないのか。心と心がつながった真の友だちの在り方を、今の教育のなかではできないのではないか、と考えこんでしまった〉という。

 

 浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、「実というのは、必ずその身になることだ」と言われ、それこそが仏心、真実の宗教心だとうなずかれた。明治以来の極度の宗教排除の学校教育が、自由競争の資本主義社会の成熟と相まって、いよいよ「人間教育」が歪められたツケが、今日来たのではないかと、思われるのである。

(「同朋選書」より)