大阪市阿倍野区 即応寺今月のおはなし

「慈光」通信を読む(2021年9月号より)

 

 

正しい教えを知らないで、

百年生きるよりは、

正しい教えを聞いて

一日生きるほうが、

すぐれている。

―『法句経』―

 

正しい教えを聞いて“生きる”とは、どういうことか。それは真実の自己に目覚めて生きること、いわば独立者として生きることであろう。独立者は、名誉・地位・財産・権力などへの欲に振り回されず、また禍福に惑わされない、しっかりと帰依処(きえしょ=生のよるところ、死の帰するところ)を見出して、真実の大道を歩む人である。なべて念仏者の道が、それである。

 

友人から聞いた話だが、ある先生が児童から「海の魚は、塩水のなかに住みながら、どうして塩鮭のように塩辛くならないのか?」と聞かれて、「それは活(い)きているからだ」と答えたという。

 

なんでもないような問答だが、なかなか味のある話だ。活きているから海水の中にいても塩漬けにならない。死んでしまうと、たちまち塩がまわってしまう。―なるほど真実に生きるとは、汚濁の中にありながら、決して自分を失わず、汚染されない道に立つということなのか。―お互いに生きることに苦しみ、やがて自分の足で生きてゆけなくなるような人生の中にあっても、日々新しく、念々に賜る“いのち”に目を覚まして活きてゆく歩みを、宗祖親鸞聖人は「往生道」とも「無碍の一道」とも教えらているのだろう。

(「同朋選書」より)