大阪市阿倍野区 即応寺今月のおはなし

「慈光」通信を読む(2021年7月号より)

 

 

如来は、私の一切の行為について、

責任を負うて下さるることである。

私は、ただこの如来を信ずるのみにて、

常に平安に住することが出来る

清沢満之「我が信念」-

 

 

幼児が注射を怖がって泣き出すと、母親が感情的になって叱り飛ばすことがある。そんな時、N医師はその母親に対し、このように問いかける。

 

 N「なぜ子どもさんを叱るのですか?」

 

 --「周りの人の迷惑になって

    恥ずかしいからです…」

 

 N「迷惑なんてとんでもない。

   恥ずかしくもありませんよ。

   子供は親を信頼して、

   自分をすっかり委ねているからこそ、

   解放された気持ちで

   泣いているんです。

   それを頭から叱りつけるのは、

   お子さんの信頼を裏切る

   ことではないですか?

   親がいない幼稚園で注射を射つ時、

   たいていの園児は顔をしかめ、

   自分の身をつねったり、

   唇を噛んで必死に我慢しています。

   なかには小便を漏らす子だって

   いるくらいです。

   でも、親御さんと一緒だと、

   その安らかさから子供たちは

   みんな安心して泣くことができるんです。

   泣きたいだけ泣かせてあげてみては

   どうでしょう?

   それがお子さんのためなのかも

   しれないのですから」

 

如来は我ら凡夫のいっさいの責任を引き受けてくださる。そのように母親が子どもの身になって、いっさいの責任を背負うところに「真実の親子」関係が成り立つとはいえないだろうか。

 

子を叱る親はあれども、自身を内省して子に詫びる親は少ないようである。 

(「同朋選書」より)