大阪市阿倍野区即応寺 今月のおはなし

「慈光」通信を読む(2021年5月号より)

人間は不定の境なり、

極楽は常住の国なり

  蓮如上人「御文」  

                           

 

手をあげて合図をしたが、はや停留所を出発しかけていたバスは止まらずに行ってしまった。急いでいた私は、「ちぇっ、意地の悪い運転手め…」と、思わず舌打ちをした。

 

次のバスを待っていると、ふと雨模様の空に気づいたので、一度、すぐ向かいの側の自宅に戻り、カサを取りに行った。しばらく待って、次のバスに乗り、終点で下車した頃には小雨はかなりの降りになっていた。

 

カサを取ってきて、ほんとうによかった。前のバスが止まってくれなかったことが幸いしたのだが、さきほどの運転手を恨んだことを思い、ご都合主義の自分の心の動きに、内心あきれないではいられないものがあった。

 

思えば、私たちの日常生活というものは、こと大小を問わず、みなこうした身勝手な自我中心の心で一喜一憂を繰り返してはいないか。まことに苦楽に惑う人間の世界は不定(ふじょう)であり、真実(まこと)あることなき我が身である。

 

苦楽を超えた常住(じょうじゅう)の世界とは、仏陀の教法を通して、そうした煩悩具足の凡夫である我が身と自覚されたとき、初めて感知されるのであろう。

(「同朋選書」より)


【過去1年分の通信録】

「慈光」通信を読む(2021年4月号より)

天上天下 唯我独尊

 方広大荘厳経  

                           

四月八日、花のルンビニ園で釈迦族の王子が誕生されました。そのとき王子は、生まれるやいなや、七歩あるいて「ただ我独り尊し」と、のたもうたと経典には記されています。

 

これは何も聖者の出生を、奇跡ふうに粉飾したのではありません。仏伝記者の信の目は、王子出生と、三十五歳のときに仏陀となった釈尊の正覚とを結びつけ、二重映像として、出生の意義を表現したものでした。

 

七歩の歩みとは、「迷い」(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の境涯)を超えたことを意味していると言われます。

 

また、「独り尊し」とは、自分一人を偉いというのではありません。この自分は、霊妙なる宇宙生命の顕現として尊い存在なのだと。そして、他人もまた同じように尊い。いや人間ばかりでなく、その他いっさい、一木一草、路傍の石にいたるまでもが、大生命の、重々無尽の流れの活現でないものはないのです。

 

この不思議なる大生命の活動の前に、謙虚にひざまずくとき、はじめて無量寿・無量光の中の自己、真実の自己に目覚めてゆくのだと、仏の教えは私たちに伝えているように思うのです。

「ああ、尊い自分であった」と。

(「同朋選書」より)

「慈光」通信を読む(2021年3月号より)

人の上ばかりみて、

我が身の上のことを、

たしなまずば、

一大事たるべきと仰せられ候。

 蓮如上人御一代記聞書 

                           

 

ある銀行で預金係をしているM子さんは先輩格のベテラン行員だが、彼女は感情の振り幅がはげしく、自分と意見が異なる相手には、すぐに感情をむき出しにして敵意をみせてしまう。そのため、同僚ともよくモメごとをおこしていた。

 

ある日、次長が女性行員ばかりの話し合いの場で、

 

「人間は誰しも自分という色眼鏡を通して、物を見たり聞いたりするものです。百人百色、それぞれ考え方も違うのは当然じゃないですか。だから、多少、自分と意見が違ったとしても、すぐ非難したり、喧嘩をするのはどうかと思う。人間尊重というか、お互いに尊敬の念を忘れずに、その人の身になって物事を考えることがヒューマニズムの基調だと思うのです。それがまたお互いの人間関係を美しくたもつ上で大切な事なのではないでしょうか。」

 

すると、M子さんは大きく頷いて、「とてもイイ話じゃない?皆さん、今の次長の言葉をよく味わってちょうだいよ」と、自分には全く関係なしといわんばかりの口ぶりで言ったという。その日の次長の話は、実は一番にM子さんに伝えたかったのだというのに。

 

―何事も〝自分自身を抜き〟にして聞いてしまっていては、畢竟、どんな教えも無価値なものとなってゆく。

(「同朋選書」より) 

「慈光」通信を読む(2021年2月号より)

十方の如来は

衆生を一子のごとく憐念す。

― 親鸞聖人「浄土和讃」―                       

 

ある商店主が「人間って、ああいうもんですかなぁ。相手のことを思って率直に言ったことで、すっかり仕事熱心になりましてねえ…」と。

 

聞けば新入店員の一人に、最初は退職者の残務を受け継がせたが、どうもパッとしない。この仕事が性に合わないのだと気づいたので「よく検討しないで、今の仕事をやらせて悪かったね。君にはきっと外回りの方がよいと思うが、どうかひとつ頑張ってほしい」と話したところ、とても感銘の様子。それから人が変わったように活き活きとした仕事ぶりになったという。

 

彼は友人仲間に「社長に認められたのだ。全力投球でやってみる」ともらしていたそうだ。自分が他人からよく認められるということは、これほどまでに人の心を明るく開き、ひとつの救いにまでなるものなのか。

 

同様に、宗教的救いというものも、真実なる如来に認められ、願われていることを自覚することではないか。われらの帰依する如来は、人間を存在せしめている根源(一如)より来生せるものであるから、瞬時も離れず我が身に添いたもう〝親様〟である。愚悪なるこの私を〝一子のごとく憐念する〟如来の心を信知することを信心といい、それこそが弥陀の本願のお救いにあずかる大らかなる人生なのだろう。

(「同朋選書」より)

【住職  年始のご挨拶】

新年明けましておめでとうございます。今年もみ仏のお慈悲のもと、新しい年を迎えさせて頂けましたことを、皆様共々にお慶び申し上げます。

 

昨年は、新型コロナウイルスの世界的大流行にはじまり、人々の健康や経済への打撃だけに止まらず、私たちの人間関係の在り方を大きく一転させる混迷の一年となりました。再三に渡る感染防止の為の外出自粛の要請や社会的距離(ソーシャルディスタンス)の呼びかけは、新たに在宅勤務によるテレワークやオンライン飲み会などといった社会のデジタル化を急速に加速させた一方、そうした“新しい生活様式”による疎遠感は、私たち人間の「集う」「語らう」「触れあう」といった基本的な営みの大切さを再確認させられる大きな機会ともなりました。

 

また、感染者の急増による感染症への恐怖は、世界各国で人と人との間に不信感を生み、なかでも感染者家族に対する「心ない言動」や「中傷」「デマ」といった差別が深刻な問題となっています。

 

人間は誰しも病気にかかります。コロナは恐ろしい病気に違いありませんが、だからといって「ウイルスが怖い」「私だけは感染したくない」という思いばかりで生きてゆくならば、そうした病気を遠ざけようとする心がやがて他者との分断を深め、先んじてコロナにかかられた人々を責め立てる心と、根を一つとしていることを、私たちは過去の歴史からも学ばなければならないのでしょう。

 

仏の智慧は、私たち人間の一生はお互いに「生老病死を勉るることを得」(『目連所問経』)ない苦悩の人生と見定めておられます。みんな人間に生まれてきた限り、「業縁の身」として、縁によっては私たちの都合もお構いなく、老病死という目も背けたくなるような現実も引き受けてゆかなければならない身だと、仏の教えは言い当てています。だからこそ、後悔のないような生き方とは何か。この限りある人生を、誰と、どう生きてゆくことをこの私は本当に願っているのか。それは決して自我の思いに閉じ籠もり“自分さえ良ければ”という世界の中にあるのではなく、他者と共にお互いにいたわり合い生き合える浄土なる「いのち」の世界に立つ歩みの中にあることを、宗祖親鸞聖人は「浄土の教え」として私たちに伝えておられるように思います。

 

本年も「聞法第一」に、親鸞聖人が明らかにされた南無阿弥陀仏の教えに我が身を照らし、今ここにある「いのち」の“尊さ”と、この一度きりの人生の“かけがえのなさ”に目を覚まして、他者と共にいたわり合って生きる人間として在るべき道を念仏生活の上に明らかにして参る所存です。皆様におかれましても、阿弥陀如来の大悲と共に歩まれるコロナ禍に碍げられることのない幸せな一年となられますことを願いまして、新年のご挨拶とさせて頂きます。合掌

「慈光」通信を読む(2021年1月号より)

さればよきことも、

あしきことも、

業報にさしまかせて、

ひとえに本願をたのみ

まいらすればこそ、

他力にてはそうらえ。

― 『歎異抄』― 

 

S氏の店は、お客が定着して十年、順調にのびてきたが、今度、市の道路拡張で敷地の半分ほども除去されることとなった。そのまま現地で建物を高層化するのが一ばん無難なのだが、それでは構造上どうもまずく、将来の見通しが悪い。かといって移転予定の所有地には、近くに同業者もあり、借金までして新規同様の店が移って成り立つかどうか、冒険すぎる。「なんとかしたい……が、なんともならぬ」と、半年ばかり悩み続けたそうだ。

 

そのS氏に決断を与えたのが仏法だったという。―思えば人は、よく「もう行きづまった。打つ手がない」と苦悩するが、それは人間の、はからいや思いが行きづまるのであって、現実そのものは、少しも行きづまることはないのだ。他力(足下の〝いのち〟の世界)にまかすという智慧によって、S氏は前向きな決断、移転という選択にふみきった。

 

「不安は消えませんが、ただ人事を尽くすのみです。結果は受け止めていきます」という言葉に明るい力がこもっていた。

(「同朋選書」より)

「慈光」通信を読む(2020年12月号より)

なごりおしくおもえども、

娑婆の縁つきて、

ちからなくしておわるときに、

かの土へはまいるべきなり。

― 『歎異抄』― 

 

このごろ、私の身辺のあの人、この人が、相次いで亡くなっていった。すると「自分もこの世においてもらうのは、いよいよ長くないな。明日の日だって―」と思われてくる。

 

家族の者と別れることもつらい。親しい人との別離もさびしい。一生を送った名古屋の町も庭の柳の大木も、みんな名残惜しいのだ。だが「娑婆の縁つきて力なくして終わる時に、かの土へは参るべきなり」と。なんという静寂な境地だろう。なんという確かな心境なのだろう。帰依(きえ)の場所が明らかになった人の言葉である。

 

帰依とは、ある師は「生やそれに依る。死やそれに帰す」といわれたが、その〝それ〟というのが〝かの土〟ということであろう。

 

わが身は、現に今、かの土なる世界によって支えられ、またその世界へ帰ってゆくべきものであった。― 魂の故郷、安養(あんよう)の浄土、自然法爾(じねんほうに)の世界の中に生き、そこへ帰っていく私であった。

(「同朋選書」より)

「慈光」通信を読む(2020年11月号より)

円融至徳の嘉号は、

悪を転じて徳となす正智。

― 親鸞『教行信証』総序 ―

 

Eさんは幼年時代に縁側から落ち、股関節を脱臼した。そのため五十数歳の今日まで、松葉杖なしでは歩けない重症の身となった。笑いながら「一度でいいから、雨の中をハダシで傘さして、はねてみたいです」と言った言葉が忘れられない。

 

そのEさんの所へ、ある新興宗教の人が入信をすすめに来た。

 

-- 「この宗教に入ると、来世は足がよくなって生まれ変わりますよ」

 

E 「?」

 

-- 「今のあなたの宗教では、生まれ変わっても足は悪いままですよ」

 

E 「でも、私は歩けないことで長い間、悩み抜いたあげく、やっと自我の思いが砕かれました。こんな驕慢な人間にも法(おしえ)が聞こえるようになったのです。私にとって足を痛めたことが正しい智慧に目を開く最大

のご縁でした。なので、足が良くなる為に祈るとか、どこかの神様にお願いをするとかの必要がないんです。このままで、けっこう毎日明るい日暮らしをしていますよ」

 

-- 「…?」

 

Eさんは人生におけるその大きな逆縁を、「私が」という自我執着を破る尊い勝縁としてゆかれたのであった。

(「同朋選書」より) 

「慈光」通信を読む(2020年10月号より)

煩悩菩提体無二と…

(左訓=ぼんのう、ぼだいも、ひとつみつとなり、ふたつなしとなり)

― 親鸞「和讃」より ―

 

ある話し合いの場で、三十代の男性が告白した。

 

私は八年前に今の八百屋へ養子にきた。私は自分の手で店を立派にしてみせるぞと、えらい意気込みで商売にはげんだ。ところが一件おいて隣にも八百屋があり店も大きい。目の上のタンコブです。せりあいはエスカレートするばかり。向こうがやるなら、こっちも…と、百円で仕入れたものも百円で売るというケンカ腰でした。そうなると隣の主人が憎くて憎くて、もう何度殺してやりたいと思ったことか…。

 

ちょうど四年前のそのころ、お寺で聞法会がはじまった。〝わが身を知る〟ということを主題に、毎月二回も親鸞聖人の話を聞くようになった。すると、これまで自分という人間がどれほど都合勝手で、自我中心の浅ましい根性で生きてきたかを痛烈に思い知る機会となった。また、おもしろいことに、半年前からその隣の主人も、住職の熱心な勧めで聞法会に来るようになった。私は今あんなに善い男を、どうして殺したいくらいに思ったのか…自分が恥ずかしく恐ろしいのです。

 

その隣の店の主人とは、今こうして私の横におられるTさんなんですよ、と明るく笑った。

(「同朋選書」より)

「慈光」通信を読む(2020年9月号より)

彼是とするときは

則ち我は非とす。

我是とするときは

則ち彼は非とす。

我必ずしも聖にあらず、

彼必ずしも愚にあらず。

共に是れ凡夫のみ。

聖徳太子「十七条憲法」

 

子供のケンカに親が出るというが、K子婦人も、我が子の訴えを聞いてカッカして、先方の子の方が悪いと相手の子の家に出かけていった。激しく言い合って、先方の親を、コテンパンにやっつけて溜飲を下げた。ところがその夜、ケンカで言い負かしたことが苦になって、どうも落ち着けない。こっちの言い分が正しいと信じていたけれど、それが異物を飲み込んだように、引っかかって明け方まで眠れなかった。

 

明くる朝、早々に先方の家に行って、「昨日は本当にすみませんでした。あんなふうにまくしたてたことが、すまなくって、夕べは眠れませんでした」と詫びた。すると先方の奥さんが「まあ、あなたって素直な方ですね。私の方こそ、はしたなくムキになってしまって、お恥ずかしいことでした」というので、心が洗われた思いがしたという。それから二人は肝胆相照らす無二の親友付き合いの仲となったそうだ。

 

人間が自我主張に基づいた善悪の立場を越えた時、そこにはじめて〝自他一如〟の世界が開けてゆくのだろう。その扉を開く鍵こそ、〝凡夫〟の自覚であり、目の前にいる人に〝南無〟する心なのではないだろうか。

(「同朋選書」より)

「慈光」通信を読む(2020年8月号より)

たとい我、仏を得んに、

国に地獄・餓鬼・畜生あらば、

正覚を取らじ。

 『仏説無量寿経』

                        

これは人類救済の大事業を発願した法蔵菩薩の本願のことばであるが、同時に私たち人間の深い願いではなかろうか。

 

ある一代で財をなした人が、死期もせまった時、遺産争いの内輪もめを知った。「私が一生涯かかって残したものは浅ましいケンカの種だったのか。みんなが仲良くすること、それが何よりの願いだったのに…」と、死にきれない思いを遺していったという。

 

財産争いは、まさに地獄、餓鬼、畜生の三悪道を最もなまなましく現出する。怒りのために故意に害しあう地獄道。物欲のために浅ましい限りをつくす餓鬼道。本能のままに争いあう畜生道。それはまた私たちの日頃の自我中心生活そのままを象徴している。

 

仏の教えに照らされて、我が迷いの心が浮きだされてくる時、「三悪道をはなれて、平和で、平らな、一味平等の世界に生まれたい」との人間の本然(深い“いのち”)の声が、法蔵菩薩の呼びかけに応じて、心の奥底から聞こえてくるのである。

(「同朋選書」より)

「慈光」通信を読む(2020年7月号より)

仏は医王の如く、

法は良薬の如く、

僧は瞻病人の如し。

源信僧都「往生要集」

 

故・亀井勝一郎氏の言葉に「病者の自覚が宗教的な深い第二の人生への門である」という言葉があった。人が悩みごとにぶつかったり、生の不安、むなしさ、絶望といったことを真剣に思いはじめるところに、〝病者の自覚〟がおとずれるのであろう。

 

仏はこの病者に対して、名医のように診察し、人間の心は、自我中心の執着が元となって苦悩することを見通される。そして、病に応じた薬を用意されているのである。

 

その薬にあたる教法はどこにあるのか。なるほど経典や書物や、また私たちの身辺にも満ちているにちがいない。だが、たんに教法は〝ある〟だけではなんにもならない。良薬も服用してこそ良薬であるが、教法も求める病者に真理の言葉となって響いてこそ、生きてはたらく。せまい暗い世界が広い明るい世界に、不安が安らぎに、むなしさが生き甲斐に、不満が満足に転回したところに教法は、良薬として光るのである。また看護人たる僧も、その使命の重大さを忘れてはなるまい。

(「同朋選書」より)

「慈光」通信を読む(2020年6月号より)

慙愧あるがゆえに、

すなわち父母・師長を恭敬す。

慙愧あるがゆえに、

父母・兄弟・姉妹ある

ことを説く。 

―『涅槃経』

 

今年は亡き母の七回忌にあたる。思えば、母の八十年の生涯は労苦にみちたものだった。嫁いでは、大勢の子の養育のため悪戦苦闘した。子女が片づくさなかに戦災によるドン底生活。つづいて多くの孫たちの世話。どうにか一ぷくできたのも長くはなく、老衰と病がどっとおそってこの世を去った。

 

「大切にしなければ」と思いながら、ついさからったり、心配かけたり、きげんの悪い時など、ひどいことを言ったりした。悲しいことに、また愚かにも、母が亡くなってから、せつない母心が身にしみるようになった。慚愧が胸をしめつけた。

 

母のことを思うとき、申しわけのない、恥ずかしい自分だと思う。また、ありがたい、尊い母だと思う。経典は、慚愧の心をとおして、父母がうやまわれ、父母と子との生死をこえた、内面的な真実の出会いが成り立つことを、説いているようである。

(「同朋選書」より)