大阪あべの即応寺

今月のおはなし

「慈光」通信を読む(2025年5月号より)

 

 

愛 語

 

昨年末、百寿を全うして、お浄土に還った姑から、いくつもの愛語を聞きました。 「今まではこうしてきたのよ」と教える姑に「これでも大丈夫ですよ」と答えるような嫁でしたが、晩年の姑は、修正会の後の座談会のたびに「私は今年も、坊守の留守番役に徹します」と言うのでした。その同じ言葉に、姑の自信と責任感が次第に感ぜられるようになりました。

 

介護の日々が始まった時も、「私はこうしてお世話になれてるけど、あんたたちは誰にお世話してもらえるんかねぇ」と私たちを案じてくれました。いつしか私を「お母さん」と呼んだりして、「老老介護、アベコベじゃわ。子供の私がお母さんの介護をせんならんのに、お母さんにしてもらって、ごめんなさい」と繰り返し詫びるのでした。

 

意識が濁っていった頃、「私は誰?」と姑に聞くと「私のお姑さん」と答えて、「長いことお世話になったね、泣かないでね」。これが姑との最後の会話でした。潤んだ瞳で「泣かないでね」と言ったその言葉は、泣きそうもない私の涙を誘った愛語でした。

 

姑の愛語を聞かせていただき、道元禅師の「愛語よく廻天の力あるを学すべきなり」との教えが蘇り、私たちに如来から贈られている愛語がお念仏なのだと知らされました。 

(九州教区宇佐組 勝福寺・藤谷純子)